そのとき
『世尊は実に素晴らしい。衆生の機根に応じて法を説き、人びとの執着を抜き取ってしまう。とても言葉では言い尽くせない。
世尊のみがわれわれの心の願いを見通しておられる』
そのとき釈尊は、諸々の僧たちに告げた。
『この富楼那弥多羅尼子は、何人のなかにあっても、常に最も優れた説法者であった。如来を除いては、説法において
富楼那に勝るものはいない。過去、九億九千万の諸仏の処において、富楼那は説法第一であった。
空の教えにも通暁し、明瞭に説き適確に語り、幾千万億の人びとを教化してきた。諸仏はみな、富楼那は真の声聞であると賞賛している。
また富楼那は過去七仏を通して説法第一であったし、
今もまた千の仏が現われる
そのとき、千二百の阿羅漢たちは、このように思った。
「素晴らしいことだ。声聞が仏になった。もし世尊がわれわれにも記を授けてくれたら、どんなにうれしいことだろう」
釈尊は弟子たちの思いを察し、摩訶迦葉に語った。
「迦葉よ、わたしはこの千二百の阿羅漢に、今ここで、阿耨多羅三藐三菩提の記を授けよう。この
そのとき五百の阿羅漢たちは、歓喜して座より立ち、釈尊を拝し、自責の念にかられて言った。
「世尊よ、われらはすでに阿羅漢果を得て、最終的な悟りに達していると思っていました。われらは無知なるがゆえに、
大きな間違いを犯していました。如来の智慧を得るべきところ、小智で満足していました。世尊よ、たとえば、ある人が親友の
家に行って、酔いすぎて寝込んでしまったとします。友は用があって出かけなければならなかったので、
何かの役に立つ時があるであろうと思って、寝込んでいる男の衣の裏側に、高価な宝玉を縫いつけてやりました。男はそれを知らずに
起き上がると、他国へ行ったが、そこで困窮して、衣食を得るにも事欠くようになったが、男は少しのもので満足していた。
後にその親友がたまたま男に会って、友の有様を知ると、こう言うでしょう。君はどうしてそんなに苦労しているのか、
困った時のためにと、君の衣の裏側に高価な宝玉を縫い付けておいたのに。あれは君にあげたものだ。それを知らずにいるとは。
それを売れば、何不足ない生活ができるだろう。
世尊よ、仏もまたこのようなものです。世尊が菩薩であったときに、われらに
一切智を説いてくれたにもかかわらず、
われらはそれを知らず忘れて、小智に甘んじていました。しかし、かの宝玉が無くならなかったように、一切智の願いは常にあって
失うことがなかったのです。世尊よ、今われらは阿耨多羅三藐三菩提の記を授かって、未曾有の歓喜にひたっています」
✽橋の左の偏は性の左偏、りっしんべんです。
— 要約法華経
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