この時、時間はおそらく夜中の3時頃であったろうと思われる。ペトロはもう一人の弟子と一緒に、こっそり大祭司の中庭にもぐりこんで、ことの成り行きを見守っていたのだが、裁判の進行中に鶏が二度鳴くのを聞いているからである。人々はイエスを捕えると、大祭司カイアファ✽の屋敷に連れて行った。すでに祭司たちや律法学者や長老たちがそこに集まっていた。彼らは夜通しイエスの逮捕を待っていたようである、『ルカ伝』は、夜が明けると集まったと記しているが。大祭司の屋敷の中庭が、臨時の最高法院になり尋問が始まった。夜中に逮捕して暗いうちにすぐ裁判が始まるとは、異常な事態である。中庭には暖をとる火がたかれていた。サンヘドリンといわれる最高法院にはもちろん裁判手続き規定があるのだが、たとえば死刑事件の公判は昼間に行なう、そして翌日の昼間に判決する、等々の規定はすべて無視される。イエスを告発する証人たちが次々と呼び出され証言するが、それぞれの証言が一致せず、立証できない。とにかく急いで、どたばたで証人達をかき集めたようだ。この祭司たちのやらせの証言に、イエスは黙っている。何も反論しない。業を煮やした大祭司は苛立って叫ぶ。
2662そこで、大祭司は立ち上がり、イエスに言った。「何も答えないのか、この者たちがお前に不利な証言をしているが、どうなのか」 63イエスは黙り続けておられた。大祭司は言った。「生ける神に誓って我々に答えよ。お前は神の子、メシアなのか」64イエスは言われた。「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、/人の子が全能の神の右に座り、/天の雲に乗って来るのを見る」65そこで、大祭司は服を引き裂きながら言った。「神を冒涜した。これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は今、冒涜の言葉を聞いた。66どう思うか」人々は、「死刑にすべきだ」と答えた。 (『マタイ伝』26:62-66)
イエスの返事は絶妙である。「お前は神の子、メシアなのか」と聞かれて、「それは、あなたが言ったことです」と答えている。また同じ質問に「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」(『ルカ伝』22:70)と答えている✽2。これはイエス独特の言い方です。言葉の使い方が実に巧みだったことが分かります。ほかのところでもこのように、質問者にそのまま言葉を返す言い方をしている。イエスは、ことあるごとに、偽善的な祭司たちを口を極めて批判し罵っているが、そのような者達には本当のことを言う価値がないと思っていた節がある。しかし彼らに、自分を告発する口実をつかまえさせてやらなければならない。それで当時流布していた、そして今に伝わっていない預言書あるいは黙示文学の一節から、引用して補足したのだろうと思われます。「人の子」とは、イエスが自分を理解する人々に語るときに、自分を指して使っている言葉だが、ここではメシアは来ると言明しているが、自分がそれだと明かしているわけではない。この文脈では一般的な信仰告白ないし予言的表現ともとれるだろう。しかしイエスが言うと神の冒涜ととるだろう。祭司たちはイエスのどんな言質でも口実にして告発したいのだ。
こうして、夜が明けた。祭司たちはイエスを、ローマ皇帝から派遣されていた総督ピラト✽3のところに連れて行く。当時、祭司たちの法廷では死刑にする権限がなかったのである。ピラトは賢い総督とはいえないし、ユダヤ人からは警戒と敵意をもって見られていた人物だが、イエスの裁判のこの場面はなかなか立派に振舞うのである。・・・
2711さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。12祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。13するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。14それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。15ところで、祭りの度ごとに、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。16そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人がいた。17ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか」18人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。19一方、ピラトが裁判の席に着いているときに、妻から伝言があった。「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、わたしは昨夜、夢で随分苦しめられました」20しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。21そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。22ピラトが、「では、メシアといわれているイエスの方は、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。23ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。24ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」25民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある」(『マタイ伝』27:11-25)
水を持ってこさせ、群集の前で手を洗い、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」とやるところなど、ピラトは堂々たるものである。また「その血の責任は、我々と子孫にある」とユダヤの群集がイエスの死の責任を引き受けたことは、この後2000年にわたって、キリスト教徒たちがユダヤ人を差別し迫害する格好の口実となった。実に愚かなことである。こうしてピラトはイエスに死刑の判決を下すと、イエスを鞭打ち、そして兵士たちにイエスを引き渡した。十字架刑にかけるためである。