イエス伝

22 最後の日々

四日目

「さて、過越祭と除酵祭の二日前になった」(『マルコ伝』14:1)。イエスがエルサレムに来て四日目である。ユダヤの暦によると、過越し祭はニサンの月(現在の暦では3月から4月にあたる)の15日とあり、それから一週間が除酵祭にあたるそうです。過越し祭の日が、除酵祭の第一日になる。この期間は仕事も休み、各地からユダヤ人の巡礼が大挙してエルサレムに来て、ユダヤ最大の春の祭りを祝う民族的祝祭日です。ファリサイ派や律法学者ら祭司たちは、何とかイエスを捕えて殺そうとして謀議していた。「民衆が騒ぎだすといけないから、祭りの間はやめておこう」(『マルコ伝』14:2)と考えていたのだが、実行に移す詳細が決まらないまま日は迫っていた。この日、イエスを裏切る決心をしていたイスカリオテのユダは、祭司長たちのところへ来て協力を申し出たので、彼らは大いに喜び、銀貨三十枚と引き換えに、イエスを捕える段取りの打ち合わせがなされた。

五日目

「除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、『過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか』と言った」(『マルコ伝』14:12)。 この日は、日付としては、過越し祭と除酵祭の前日であり、その準備の日になる。夕方までに過越しの子羊を屠り、酵母の入っていないパン(マッツァー)と苦菜も用意する。ユダヤの暦ではその日の夕方から翌日の夕方までが一日なので、この日の夕方になると日が改まり、つまり15日となって除酵祭・過越し祭の当日となる。この日の夕方になって、過越しの食事をするのである。イエスは弟子たちに、エルサレムへ行って過越しの食事を提供してくれる家を見つけるように言う。そしてそこでイエスと十二人の弟子たちの最後の晩餐が行なわれた。過越しの食事である。食事の席上、イエスは「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」 (『マタイ伝』26:21)と皆に告げる。聞いているものは信じられない言葉に驚くが、暗にユダだとはっきり分かるように告げるのである。またほかの福音書では、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」(『ヨハネ伝』13:27)とユダに言っている。ユダの裏切りは、実際のところ余計なことだったのである。ユダが居てもいなくても、イエスは神の子羊としての運命を自分で決めていたからである。

1422一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である」 23また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。24そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。25はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」 (『マルコ伝』14:22-14:25)

この食事の時のイエスの振る舞いは、まったくイエスらしくない。イエスは儀式を連想させることを、今までしたことがなかったし、儀式的なものはイエスとは無縁である。儀式的な行為は天の王国からはまったく遠いのである。しかし、パンを自分の体に喩え、ぶどう酒を自分の血にたとえることは、早くからイエスのイメージのなかにあったのである。すでに群集の前で、この喩えを話している。この時は多くの信奉者がイエスの言葉を文字通りに受け取って、イエスは狂っていると思って、イエスから去っている。神に捧げる供物としての神の子羊を、自分に擬しているのである。痛々しい連想である。それを実行する時は、もうすぐ迫っていた。

過越しの食事を終えると、一同はベタニアに戻り、オリーブ山へ出かけた。すでに夜も深まっていた。弟子たちは、昼間イエスが祭司たちを相手にして緊迫した論争をやり、またイエスが天の王国の喩えの説教を沢山したので、すっかり疲れていた。長い一日だった。もう深夜も過ぎていただろう。イエスは、迫り来る残り少ない時のなかで、意識は鮮明であったが、奈落のそこに落ち込むような気分になっていた。どうしようもなく気が滅入るのであった。

1432一同がゲツセマネという所に来ると、イエスは弟子たちに、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。33そして、ペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴われたが、イエスはひどく恐れてもだえ始め、34彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、目を覚ましていなさい」35少し進んで行って地面にひれ伏し、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、36こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(『マルコ伝』14:32-36)

「アッバ」とは、パレスチナの人々が当時使っていたアラム語で、幼児が父親を呼ぶときの言葉にあたるそうである。このような言葉をイエスが最後になって使うのは、いかに長い間イエスが天なる父と対話を交わしていたか、ということであろう。弟子たちからひとり離れて、イエスは長い間祈っていたのであるが、弟子たちはその間、眠りこけてしまっていた。イエスは三度戻って、弟子たちを起こしたと書かれている。

イエスが眠りこけた弟子たちの所に戻って、話をしているところに、ユダがやって来た。棍棒や剣を手に手に持った群集たちが後ろに控えていた。この群集は祭司たちが事前に計画して動員した者たちであろう。おそらく金を払って動員したのではなかろうか。深夜の動員である。ユダが、先生、といってイエスに近づき、接吻する。イエスは「友よ、しようとしていることをするがよい」(『マタイ伝』26:50)とユダに言う。それを合図に、群集のなかの人々は前に進みよりイエスに手をかけて捕えた。イエスに居合わせた人々のうちのある者が、剣を抜いて大祭司の手下に打ってかかり、片方の耳を切り落としたが、イエスはそれを制止する。おそらく圧倒的多数の群衆とイエスの逮捕に動転したのだろう。福音書は次のように記述している。

1450弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。(『マルコ伝』14:50)

共観福音書では、過越し祭の当日にイエスが逮捕・裁判・処刑されたと記述されている。そしてその翌日が、安息日(土)となっている。しかし、『ヨハネ伝』では「さて、過越祭の前のことである」(13:1)と語り、ピラトの死刑判決がなされたのは、「それは過越祭の準備の日の、正午ごろであった」(19:14)記されている。このような重要な出来事に一日の違いがあるのである。また時間も違う。それが過越祭の当日か前日かでは、ユダヤ人の間では、重大な問題になるだろうが、福音書の著者は非ユダヤ社会の人々を読者に想定していたようです。
頁をめくる
次頁
頁をめくる
前頁
公開日2007年11月6日
最終更新11月11日