村や町を巡回し、奇跡を起こし、教えを説いていたある時期、イエスは人々が自分のことをどう受け止めているか、何者と考えているか、弟子たちに聞いたことがある。他人の評判を聞くのは一種の情報収集である。イエス自身は、病人が自分の所にやって来て、よく呼ばれる呼び名を知っている。「ダビデの子」である。民衆の間には、古代イスラエルが一番栄えた時の王の名が、民族再興の願いもこめて行き渡っていたのだろう。
827イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。28弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」29そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」30するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。(『マルコ伝』8:27-8:30)
メシアとは、古代イスラエル王国が分裂し、その後独立国としての祖国をうしなったユダヤの民のあいだに、民族再興の願望のなかから生まれたもので、ユダヤに現れると信じられている救世主のことである。詳しくは、少し時間がかかるので、稿を改めて書くようになると思います。
この章句は、ペトロの信仰告白として知られている箇所ですが、ここでイエスは、弟子たちに初めて自分が何者であるかをはっきりと明かしています。イエス自身の口からは言っていませんが、イエスはペトロの発言を認め、誰にも話さないように、と口止めしています。他の共観福音書にも記載されているので、事実であったと思われます。『マタイ伝』にはさらに、「イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた」(『マタイ伝』16:20)と記されています。
メシアを公言することは、非常に危険だったでしょう。ユダヤ社会の民衆の間では、メシアは即イスラエル王国の再興と取るだろうし、それはユダヤ社会の体制派やローマ皇帝に対する謀反と見られるでしょう。そのような地上の権力はイエスがまったく考えていなかったものであるが、ユダヤの民衆はそれを理解しないだろう。イエスは、ユダヤの地上の王国の再興については一切言及していない。天の王国がすぐ近くに来ているとユダヤの民に告げてまわったのである。同じくメシアといっても、自分は天の父から遣わされたメシアだと思っていました。このことがどんな意味と変革を地上にもたらすのか、弟子たちにもすぐには明らかにされません。