イエス伝

14 今この時

イエスは、世に出て宣教を始めたこの今を、この時を、つまりイエスの現在をどのように考えていたのだろう。イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と第一声で告げている。これはイエスの主調音である。天の国はイエスにとって比喩ではなく、イエスの真実そのものであったのである。イエスは天の国を直近に感じていたのである。そして地上の時間を生きている。

洗礼者ヨハネは、牢の中でイエスの活動の噂を聞くと、弟子たちをイエスのところに遣わせて、尋ねさせている。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」(『マタイ伝』11:2-11:3)。このことは、当然のこととして、ヨハネはメシア到来の思想を抱懐し、イエスと共有していると考えていたことを示している。イエスは、「見聞きしていることをヨハネに伝えなさい」と答えてから、次のように説いている。

117ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。8では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。9では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。10『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう』/と書いてあるのは、この人のことだ。11はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。12彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている。13すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。14あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。15 耳のある者は聞きなさい。」 (『マタイ伝』11:7-11:15)

イエスは、「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである」と総括する。アブラハムから連綿と続いてきた過去のすべてのユダヤの苦難と希望の歴史は、ヨハネの出現でもって終わると宣言しているのである。ヨハネがユダヤ最後の預言者であり、その出現の時期と役割からして「およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」と説かれる。そして「天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」と説き、天の国は従来の概念ではまったく計れない次元のものとして説明される。さらにヨハネは「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの前に道を準備させよう」と預言されたその人であると言明する。そうすると自ずからイエスの出現の意味が、出現の稀有なる時が、その今の時の意味が明らかになるのであるが、イエスは決して自分が「その人」であるとは言わないのである。

またイエスは、「彼が活動し始めたときから今に至るまで、天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」と説明している。天の国の現況報告である。このことが何を語っているのか定かではないが、天の王国でその創生以来の劇的な興亡が起こっているということだろうか。何故イエスはこのことを知っているのだろうか。イエスが天の王国の近くにいて、その息吹を身体に浴びているということ以外考えられないだろう。

洗礼者ヨハネを語ることによって、イエスは自分の存在証明をはっきり提示しているのである。だが決して自分は待望の「その人」であるとは宣言しない。イエスは、ユダヤの歴史始まって以来の、未曾有の時に、福音を説かなければならない自分の使命を自覚している。このような時に、奇跡によって自分のしるしを示し、そして天の国の近いことをユダヤの民に説いてまわる。この時にあっても、人々は悔い改めようとはせず、イエスの教えを信じようとしない。イエスは苛立ち、罵る。

イエスは思っていただろう。今この時を境に、自分の出現によって、時代は二つに分かれるだろう。今までは、王と預言者の時代、ユダヤの民の栄光と苦難の時代、塵からできて塵に返る人間の時代だった。これからは、天の王国の時代になるのだ。


「塵にすぎないお前は塵に返る」(『創世記』3:19)
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公開日2007年9月24日
最終更新10月8日