こうして弟子たちを布教に出しながら、イエスは宣教を急ぐのであるが、行く先々で群集が集まり、一見成功しているように見えても、イエスが通過していなくなると、町や村の人々はまた元の生活にもどってしまっている。何事もなかったかのようだ。イエスが説いたしるしはどこにも残らない。このようなことにイエスは怒りだすのである。イエスは差し迫った気持ちで、人々が即座に「悔い改める」ことを期待していたようである。しかしそのようなことは起こらなかった。
1120それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。23また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」(『マタイ伝』11:20-11:24)
コラジン、ベトサイダ、カファルナウムともガリラヤ湖の北岸に位置する町で、コラジンは福音書では初めて名前が出てくる町だが、いずれもイエスが宣教した町だろう。ベトサイダにはよく行き、カファルナウムはイエスが拠点を構えた町である。これらの町々をことごとく罵っている。「お前は不幸だ」(「わざわいだ」口語訳/「禍害なる哉」文語訳/ "Woe to you" NRSV)と穏やかに訳されているが、ここはイエスの罵りの言葉である。またティルスとシドンは旧約時代に、神がユダヤの民のために復讐を誓った町だろう。いわばユダヤにとって破壊すべき町なのである(『ヨエル書』4:4)。またソドムは不義の故に神に滅ぼされた町である(『創世記』19:24-19:25)。それらの町々よりも、この今、イエスが説いて悔い改めなかった町の罪は重いと言っているのである。
イエスは、今すぐこの世代で、人々が「悔い改める」ことを期待していたのである。しかしそのようなことは起こらなかった。イエスは自分の教えが、それを聞いた村や町の人々のなかに落ちて、すぐ実を結ばないことに強い苛立ちを感じていたのであろう。イエスは次のように喩えて嘆いている。
1116今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。17『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。(『マタイ伝』11:16-11:17)