宣教を始めて間もなく、イエスのまわりに群集が集まり始めました。イエスの教えを聞くためではなく、イエスが病人を治したからです。この噂は一気にガリラヤ中を駆け巡り、ユダヤやヨルダン川の向こう側へも広まりました。イエスは目の見えない人や手足の萎えた人や長患いの病人やライ病者を治し、憑かれた人から悪魔を追放したりしました。また、五つのパンと二匹の魚を五千人の人々に分けたり、ガリエアヤ湖の水の上を歩いたり、死んだ人を生きかえらせたりしています。こうしたいわゆる奇跡は、枚挙に暇がないほど福音書に出てきます。これはイエスが普通の人には出来ない能力があり、イエスの神性を示すしるしとして出てきます。イエスもそう考えていたようです。病人を治す事例が多く、さすがに山が動いたり、川が干上がったりする天変地異はないのであるが。ここにひとつの事例があります。
5 25さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。26多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。27 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に触れた。28「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。29すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。30イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。31そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」32しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた。33女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。34イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」(『マルコ伝』5:25-5:34)
このエピソードに見られるように、イエスは病気を治す力をつまり奇跡を、信仰の力と考えていました。「あなたの信仰があなたを救った」という言葉は、病気を治す度にイエスからよく出てくる言葉です。
信仰がすべてに優先する、そうすればその余のことは自ずからついてくるとイエスは考えていました。このことをイエスは、病気が治った人やそれを見ていた人々に優しく説いたのである。一方、てんかんで苦しんでいる子どもを治せなかった弟子たちが、「なぜ、わたしたちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか」と聞いた時、イエスは次のような激しい言葉を浴びせている。
1720イエスは言われた。「信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない。」 (『マタイ伝』17:20)
なんと厳しい言葉でしょうか。信仰というものの本質を突いていると思うが、人間には出来ないでしょう。
私には、イエスがこの世に出現したことが最大の奇跡だと思うのであるが。