イエス伝

7 およそ三十歳であった

イエスはガリラヤ湖畔の町カファルナウムに移り、そこを拠点にしてガリラヤ中を回り、安息日に村や町の会堂で教えを告げ始めました。イエスが三十歳の頃のことです。宣教を始めた年齢については、次のように記されています。

3 23イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。 (『ルカ伝』3:23)

これは『ルカ伝』にのみ記されており、他の福音書にはまったく書かれていない貴重な記録です。イエスが何歳で世に立ったとしても、イエスはイエスであって、年齢はイエスの本質に関係がないと考える人もいるだろう。だがイエスはこの世に生きた人間である。イエスには苛烈な激しさがあり、限度を知らない優しさがあり、先のことを憂慮しない直情的情熱がある。世界を極限までつめて把握する豊かな直感がある。それらは人生の青年期の特徴である。二十歳では若すぎる、他人の事を考える余裕がないから。四十歳では遅すぎる、分別が入ってくるから。人は六十を過ぎて気がつくのである、青年期の頃がすべてだったと。

話はちょっとそれますが、孔子は「吾・・・三十にして立つ 四十にして惑はず 五十にして天命を知る」と言いましたが、この伝でゆくと、イエスは三十にして立ったときはすでに天命を知っていたことになります。否、すでに天命を知っていたからこそ、三十で立ったといえるでしょう。釈迦は二十九歳で、妻子も釈迦族の王子の地位も捨てて、出家します。苦行の末、正覚を得たのは三十六歳の頃といわれています。この伝でゆくと、すでに天の王国の予感に満ちていたイエスは、荒野に入り四十日でイエスの正覚を得たといえるでしょうか。三十前後でなんら転機になる出来事もなく、老齢にいたって探究心をますます磨いていったのは、ソクラテスだけです。

ともあれ、宣教をはじめたイエスの話を聞いた人は、みな驚くのである、その内容によってではなく、まず確信に満ちたその話し方に。福音書に次のような記述がある。

1 21一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。22人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。(『マルコ伝』1:21-1:22)

このようにはじめから権威を持って語れるのは、上述のたとえでいうと、イエスははっきりと天命を知っていたからであり、イエスの正覚を体得していたからであると言えるでしょう。

こうしてイエスはガリラヤ地方を中心にして宣教してゆくのであるが、それが何年続いたのか正確には分からないのである。洗礼者ヨハネが出現したのは「皇帝ティベリウスの治世の第十五年」(『ルカ伝』3:1)と書かれていますので、この記述が正しいとすれば、西暦28年にあたります✽2。イエスが宣教を開始したのは、ヨハネから洗礼を受けたあと、ヨハネが逮捕されてからである。ヨハネが何年位活動していたのか分からないし、またイエスが洗礼者ヨハネからいつころ洗礼を受けたのかも定かではない。このあたりは推定するしかないのである。イエスの宣教期間が福音書のどこにも書かれていないので、一般におおよそニ三年とだろうと推定されているが、イエスの生年、没年そして宣教を始めた年齢の記述などを色々組み合わせてゆくと、どうしても少し合わないのである。宣教はおよそ一年余の短期間で終わったのかも知れません。


「およそ三十歳であった」(『ルカ伝』3:23)
✽2ティベリウス・ユリウス・カエサル第2代ローマ皇帝。在位紀元14年-37年。イエスが活動し十字架上で刑死した時のローマ皇帝である。紀元14年に即位しているから、それを第一年とすると、第十五年は紀元28年となる。
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公開日2007年9月15日
最終更新11月24日