イエス伝

5 荒野へ行く

イエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けると、すぐユダヤの荒野へ入ります。この記述は『ヨハネ伝』にはありませんが、共観福音書にはどれにも書かれていますから、事実であったように思われます。

4 1さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。(『マタイ伝』4:1-4:2)

洗礼を受け、これから宣教を始めるにあたり、なぜ荒野に入らなければならなかったのでしょう。そこで40日間断食を通しました。なぜでしょう。イエスは自分を試すために、荒野に入ったのだと思います。

イエスには、宣教を始めるにあたって、自分の道筋がはっきり見えていました。最後は自分の死の情景まで見えていたに違いありません。再びこの世の生活に戻れないこともはっきり見えていたと思います。もう後戻りは出来ない。苦難の道をどうしても歩んで行かなければならない。その苦難に耐えるだけの力が自分にあるであろうか。あるいは自分に迷いはないであろうか。そのことをギリギリのところで試さなければならない、とイエスは思った。

「サタンから誘惑を受けるため」とあります。増谷文雄氏が仏伝のなかで、悪魔が出てきて釈迦を誘惑する場面があり、昔はどうしてもそれが分からなかったので無視して読んでいたが、あるとき悪魔は釈迦の心の迷いを現わしたものだと思ったとき、よく理解できるようになった、と語っているのを思い出します。昔は心理描写はないので、悪魔を登場させてその代わりを果たしたのだと。このことはイエスにもあてはまるでしょうか。

荒野でどういう試練を受けたかは、『マタイ伝』と『ルカ伝』にほぼ同様の記述がありますが、ここでは『マタイ伝』の内容にそって書きます。まず断食の空腹の中で、サタンは、神の子なら石をパンになるように命じたら、と誘惑する。それに対して、イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(『マタイ伝』4:4)と答える。次に、サタンはイエスを神殿の上に立たせて、飛び降りて天使が支えてくれるどうか試したらどうだ、と誘惑する。イエスは、「あなたの神である主を試してはならない」(『マタイ伝』4:7)と答える。最後に、イエスを高い山の上に連れて行って世界の王国を見せ、サタンにひれ伏すなら、繁栄する国々をみんなあげようと誘惑する。イエスは、「あなたの神である主を拝み、/ただ主に仕えよ」(『マタイ伝』4:10)と答えて、サタンの誘惑をすべて斥けるのである。・・・

空腹つまり目先の欲望を満たしたい誘惑、本当にあなたはいるのか―神を試したい誘惑、地上の名誉や栄光をこの手に得たい誘惑、これらの誘惑がイエスの心中にもわき起こることがあり、イエスはそれらを克服することの証しとして、荒野へ入って自分を試したのではないか、と見ることは出来ないだろうか。イエスがすでに充分知悉している世界は、生きている人間の苦境を救うことができるのか。

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公開日2007年9月9日
最終更新10月8日