イエス伝

3 少年時代

イエスの少年・青年期を通じてその姿が書かれているのは、『ルカ伝』の次の箇所だけです。これは大変興味深いエピソードです。

2 41さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。 42イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。43祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。 44イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、45見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。46三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。47聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。48両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」49すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」50しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。51それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。 (『ルカ伝』2:41-51)

この節から色々なことが分かります。まずヨセフ一家が毎年、過越祭にエルサレム巡礼へ行っていたこと。これは福音書に他の箇所にも、ガリラヤのナザレの人々が過越祭にエルサレムへ行って、そこでイエスの行いを見てきたことが書かれているので、いわば民族的行事であったようです。当時のユダヤの人々はユダヤ最大の春の祭りである過越祭の時期に、エルサレムにこぞって巡礼に行く習慣があったようです。この一週間は仕事もしなかったようです。またイエスはこのように小さい頃からエルサレムへ行っていたこと、またエルサレムの様子はよく知っていたということです。

イエスは勿論極めて聡明だったに違いありません。マリアが少年イエスをとがめる様子は、普通の母親の態度ですが、マリアがイエスの聡明さを感じなかったはずはありません。自分の子ながら、内心非常に不安だったでしょう。尋常ならざるものを、少年イエスの言動から感じ取っていたが、マリアは母親としてどう処していったらいいのか分からなかったからです。「母はこれらのことをすべて心に納めていた」と書かれていますが、このように胸に仕舞ってしまう以外に何も出来なかったでしょう。すでに自分の手の届かない処にいるかのようなイエスを、マリアは遠くから見るように接していたようです。

父ヨセフのことは、イエス生誕前後のエピソードの後では、福音書になにも書かれていません。完全に舞台から消えてしまいますので、ヨセフが息子のことをどのように感じていたか、知るすべはありません。信仰深く謙虚でまじめな人だったから、子イエスの様子はありのままに見ていたでしょう。父親らしく早くから悟ったのかもしれません、この子は特別な子だ、おそろしく賢いし、自分に出来ることは何もないと。

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公開日2007年9月5日
最終更新10月8日