イエスの生きた当時、パレスチナはローマの統治下にありました。南の地方はユダヤと呼ばれ、エルサレムがあります。真ん中の地方はサマリアと呼ばれ、異民族と多く交じり合ったことから、サマリア人とは付き合わないという不文律があり、蔑視されていたようです。北の地方は、ガリラヤと呼ばれ、ガリラヤ湖をかかえ温暖で景色の美しい地方だったようです。しかしユダヤ地方に住む人々からは、田舎と見られていたようです。このガリラヤのナザレという村がイエスの故郷です。
「四百七十平方マイルに及ぶ低地ガリラヤは、東西に広がる四つの丘と谷によって分けられている。谷では穀物が、そして丘の斜面では葡萄やオリーブの栽培が盛んである」✽2。四百七十平方マイルというのは、どのくらいの広さかといいますと、約千二百平方キロメートルに相当しますので、およそ三十五キロ四方くらいの広さでしょうか。地図で見るともっと広い地域のような気がしますが、いずれにしても相当に狭い地域であることが分かります。私の住んでいる神奈川県の半分位の広さになります。
イエスはベツレヘムで生まれたということになっています。ベツレヘムは、エルサレムの近郊で、故郷のガリラヤ地方のナザレの村からはかなり遠い。なぜベツレヘムで生まれたのでしょうか。『ルカ伝』によれば、次のとおりである。
2 1そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。2これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。3人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。6ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、7初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 (『ルカ伝』2:1-2:7)
『ルカ伝』は年代を比較的正確に記述しており、この初代ローマ皇帝アウグストゥス(在位 紀元前27年−紀元14年)の治世下におこなわれた人口調査(紀元前7年及び前6年)、および『マタイ伝』の「1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」(『マタイ伝』2-1)の記述から推定し、イエスの誕生は紀元前7年〜前4年の間と推定されているようです。当時パレスチナはローマの属州であり、ある程度の自治権が認められ、王の称号を使うことが許されて、ヘロデ王(在位 紀元前37年−紀元前4年)が統治していたのである。
実際にイエスがベツレヘムで生まれたのかどうか、実は大いに疑問の余地があるのです。『ヨハネ伝』に次の記述がある。
7 40この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、41「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。42メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」(『ヨハネ伝』7:40-7:42)
この物知りの素朴な発言から、メシアはダビデの家系で、ダビデのいたベツレヘムから出ると一般に信じられていたことが分かる。福音書の筆者が、イエスの正統性を証しするには、ダビデの家系でかつベツレヘム出身でなければならぬ、と考えても無理からぬことである。『マタイ伝』と『ルカ伝』にのみベツレヘムで生まれたことが記述され、その『マタイ伝』にしても「 2 1イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった」とのみ書かれているだけで、どのようないきさつでベツレヘムに居たのかあるいは行ったのか何も記載されていない。またこの二つの福音書にのみ、父ヨセフの系図が紹介されているが、二つの系図は一致しない。このように見てくると、どうしてもイエスはベツレヘムで生まれなければならなかったし、父ヨセフはダビデの末裔でなければならなかったので、福音書の著者は、イエスの生誕の場所と系図を伝承に合うように創作してイエスの正統性を証したように思われます。これは、当初ユダヤ人の間にイエスの教えを布教しようとしたことを考えると、旧約の預言の成就とあわせて、絶対に必要な操作だったであろう。実際は、ヨセフは系図などまったく明らかでない市井の庶民で、イエスはナザレで生まれたのではなかろうか。
ともあれ、イエスはガリラヤのナザレという村で育った。ガリラヤは美しい処だったらしい。一世紀の歴史家フラウィウス・ヨセフスは「この地域では自然の造形のすばらしさに心打たれずにはおれない。」(Wikipedia)と書いている。父の名はヨセフ、母はマリア。ナザレは山間部の小さな集落で、ユダヤ教の会堂があり、付近には小高い丘に羊が放牧され、麦畑やブドウ園やオリーブ園もあったろうと思われます。父ヨセフは大工であった。大工といっても家だけでなく、家畜小屋や家具など色々と手がけていたかも知れません。近隣に出かけていってする仕事が多かったから、イエスも見習いの時から、父についてガリラヤ地方一帯の村や町に行ったと思われます。こうした体験が、後に色々なたとえ話をつかって説教する時の、世間や人間の営みをよく見ている的確な表現に現れているのだろう。イエスの自然観察や人間の営みの表現は実に的確なのである。一粒の麦・野の百合・無花果の実り・種を蒔く人・ぶどう園の管理・迷子になった羊・家と土台等々・・・。安息日には家族揃ってユダヤ教の会堂に行ったことでしょう。なお、イエスには4人の兄弟と複数の姉妹がいました。